客観的かつ絶対的な物事の存在などなく、社会の中で行われるコミュニケーションが現実をつくっていくという主張をいいます。
これは人々の間で一見当たり前だと考えられる事柄や実在性や、その基礎にある暗黙的な本質を疑う立場です。
例えば、日常会話の中で「心」や「感情」、「記憶」といった言葉を使うとき、その使い方や意味や内容に疑問を抱くことはあまりありません。しかし、これらのものは実際に形があるわけではありません。そのため、改めてその言葉が何を指しているのか追求しようとすると当惑するでしょう。にも関わらず、これらの言葉を日常の中で自然に使えるのは、言葉を使用する者同士の間で、こられの言葉に対する共通認識があるからです。これらの言葉に対する共通認識は会話などの社会的なコミュニケーションによって生まれていきます。言葉として他者に表現することで「心」などの抽象的な存在があるのだと人々は認識できるようになり、現実はつくられていくのです。
臨床心理学と社会構成主義
社会構成主義はナラティブ・アプローチに大きな影響を与えました。ナラティブ・アプローチとは、患者や相談者を理解する際に、彼らの主観を含めた全体性を重視するアプローチです。
社会構成主義では、客観的な現実が個人の主観から独立して存在するとは見なしません。個人が語ることが現実をつくっていくとしています。個人の語りが現実をつくっていくという観点が取り入れられ、ナラティブ・アプローチという手法は発展していきました。
社会構成主義への批判
社会構成主義はナラティブ・アプローチへの大きな影響を与えた一方で、その生産性に関しては疑問視する声もあります。
臨床心理活動では治療や介入が援助対象にどれだけの効果を及ぼしたかを評価するのは重要なことです。つまり、治療や介入の効果について客観的な評価が求められるのです。
ところが、社会構成主義を標榜し、客観的な事実など存在しないと主張してしまえば、個人の主観だけでものごとを判断することにも繋がりかねません。実証された根拠も社会的なコミュニケーションの産物であるという極端な考え方は、臨床心理学の生産性を高めるとはいえないでしょう。