児童期 (childhood)

 学童期ともよばれます。
 6歳頃から思春期の始まる12歳頃までの、小学校入学から卒業までの時期です。小学校高学年にはすでに思春期心性に入っている子どももいます。

精神分析理論における児童期

 心理性的発達理論における潜伏期にあたります。潜伏期は、エディプス・コンプレックスが抑圧された後、リビドーは不活発になり性的成熟が到来するまでの時期です。

ピアジェの理論

 具体的操作期に相当します。現実の具体的なものや事象に関して論理的な操作が可能となる時期です。個体が変形しても量や重さ、体積は同一であるとの「保存の概念」が成立します。

児童期の発達課題

 学校生活を通した社会化、知的発達および仲間同士の遊びと交際が、発達の課題です。
 児童期(学童期)は、学校という集団を通じて、社会化の形成される時期です。乳幼児期の過程での両親や同胞と中心とした家族関係から、学校での教師や友人との関係に広がります。仲間との交際や遊びを通して社会性を向上させていきます。生きる世界の比重が「家庭から学校へ」と変化し、家族以外の人間、ことに友人や仲間との出会いや遊びが重要度を増します。同年齢集団の中に自分の居場所を見つける時期で、社会文化的教育に適した時期として、同年輩の友人との交流、友情や団結心など社会的感情が形成されます。

エリクソンの発達課題と発達危機

 エリクソンが提唱したこの時期の重要な発達課題は、学校生活での訓練と達成感を通して「学ぶ」「勤勉性、生産性」です。知識の学習や運動の技能の習得が中心の生活となり、さらに学習を指導する教師との関係が生じます。学習経験の積み重ねから、客観的な認識が増していきます。
 この時期の子どもが、健康な発達を遂げた場合、本来的に好奇心を持って「知りたい」「学びたい」という気持ちが湧いてきます。また、親や先生が認めることで、子どもはさらに意欲が増すというプロセスが勤勉性を培います。
 エリクソンは、児童期の発達危機を「勤勉性」対「劣等感」という対立でとらえています。劣等感は幼児期においてすでにその萌芽がみられます。排泄のしつけなど基本的生活習慣を身につける過程で自律性を培う際に、うまくできなかったときに、恥やきちんとできるかという疑惑の中で、自己意識の発達に即して劣等感も相応に体験します。これは大人のようにできない自分への気づきです。仲間集団の中での優劣による判断に基づくものではありません。
 学童期に至るとこれまでの地位や評価を意識するようになります。それと同時に「劣等感」も体験します。このようにして学習や技術などの習得が上手くいかなかったときには劣等感を学ぶことになるのです。したがって、勤勉性が劣等感に勝って学習されることが大切になります。
 自己の内面の中で統合でき、「勤勉性」対「劣等感」の対立を解決できた場合、発達危機が乗り越えられたと考えられます。逆に、発達が脅かされた場合、親の過干渉や過度の期待から自分の能力が十分でないと思ってしまいます。学校場面での失敗から自分は皆から劣っていると確信するようになります。劣等感に苛まれる事態が生じ、いわゆる劣等コンプレックスとなります。しかし、劣等感をほどよく体験しながら勤勉性を培っていくとき、人間性は一まわり成長していきます。

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