プラトン(紀元前427年頃~347年頃)は、ソクラテスの弟子にあたる人物です。
世界の真なる基盤を与えるために、イデア論と呼ばれる思想を確立しました。
また、彼は師であるソクラテスの思想を普及させることにも尽力しました。アテナイ郊外に「アカデメイア」というヨーロッパ初の大学を開設しました。「アカデメイア」は以後900年以上も存続しました。
彼は対話形式の著作を多く残し、代表的なものには「ソクラテスの弁明」「国家」「饗宴」などがあります。
イデア論
ソクラテス以前のソフィストは、「何が善や美であるか」を考えました。これに対し、ソクラテスは「善や美とは何か」を探究しました。ソクラテスの立てた問いに、プラトンはイデア論という形で答えを与えました。
イデア論とは、イデアを中核に置いて、世界の在り方や成り立ちを説明する考え方です。
イデアとはどのような場所や時代、あるいは状況においても絶対的・普遍的・理想的なものをいいます。ちなみに、理想という言葉は、明治時代にイデアの訳語として生まれました。
例えば、「善の行為」であるかは場所や時代などによって評価が違ってきたりします。善の行いを見ることはできます。しかし、完全なる善を行うことは不可能なので、善そのもの(つまり善のイデア)を目にすることはできません。よって、個々の善の行為とは別のところに善のイデアがあることになります。
プラトンのイデア論では、何か素晴らしいことがあってもすぐに移ろう現実世界を不完全な世界としています。そして、現実世界を超えて、絶対的・普遍的な本質がある世界を「イデア界」と呼びました。
「洞窟の比喩」と「哲人政治」
「洞窟の比喩」とはプラトンが自身のイデア論を説明する際に用いた例え話です。
「洞窟の比喩」の状況設定は以下の通りです。
手足を束縛され身動きがとれない囚人がいたとします。この囚人は生まれつき洞窟の壁しか見たことがありません。更に囚人の後ろには光源と光源を通過する物体があり、囚人が視認可能な事象は洞窟の壁に映る物体の影であったとします。
そのような状況では、囚人が真後ろを向くことが可能でも、物体そのものよりも物体の影に真実味を抱きます。また、洞窟からの脱出が叶ったとしても、洞窟の外は眩しすぎて目が慣れず、元々いた暗い洞窟に戻るだろうとプラトンはいいます。
プラトンの主張では知的世界には「善のイデア」というものがあります。それは「洞窟の比喩」での光源です。また、光源である「善のイデア」の影は「仮象」と呼称されます。
人間は無教育ならば、その状況は洞窟の中に閉じこめられた囚人に酷似してしまいます。無教育な人間の眼に映るものは真実ではなく「仮象」です。しかも、人間がそれに気づくことはありません。プラトンは魂が知性と欲望と意志によって構成されていると考えていました。人間の魂は無教育であるなら欲望が知性を凌いでしまいます。しかし、意志の力を用いて、知性を「善のイデア」に導くことができます。これがプラトンのいう教育です。また、これらの手法を「魂の向け変え」といいます。
プラトンの考えでは、、人間の魂は元来「善のイデア」を捉える能力を持っています。囚人の向きを変えて囚人に光源を見せるように、「善のイデア」の方へ人間の「魂の向け変え」を施すことが真の教育であるといいます
そして、「善のイデア」の本質を知った者が、為政者として政治を行うことが理想であるという。これを「哲人政治」といいます。