アリスティッポスは生まれはキュレネの人です。しかし、アイスキネスの伝えるところでは、ソクラテスの名声に惹かれてアテナイへ出てきたそうです。
ソクラテスの弟子で、快楽主義を主張するキュレネ派の祖とされています。
アリスティッポスは、将来を憂えたり過去に惑わされたりすることを愚かであるとしました。刹那主義的な快楽を主張して「自分たちのものとしては、現にあるものしかないのだ」と言ったとされています。
ペリパトス学派でエレソス人のパイアニスによると、アリスティッポスは最初はソフィストとして活動していたとのことです。
後にアリスティッポスは、ソクラテスの弟子となりましたが、主義や行動において、師であるソクラテスの教えと模範からは大きく外れていました。彼は、講義の謝礼金を受け取ったり、贅沢な生活を送ったりしました。
彼はディオニュシオス1世もしくは小ディオニュシオスの王宮に仕えていた時期もあったとされます。紀元前396年には、スパルタをロドス島から追放した総督の捕虜になったそうです。彼は最後にはキュレネに戻って老年を過ごしたとみられています。