グレート・マザー (great mother)

 太母ともよばれます。
 C.G.ユングが提唱した元型の一つです。
 集合的無意識の中に存在する母なるものをさします。
 慈しむもの、包み込んでくれるものといった存在のイメージです。同時に包み込むことは呑む込むことに通じ、子どもを独占・束縛しようとする破壊的なイメージもあります。

グレート・マザーの二面性

 母親には生み育てる肯定的な面と、子どもを抱え込みすぎ自立を妨げ、呑みこみついには死に至らしめる面とがあります。
 この両者の機能には「包含する」ということが考えられます。これが生につながるときと、死につながるときとがあるのです。
 グレート・マザーのこうした特徴は、各地の神話の女神や、民話・おとぎ話の魔女などの中に表現されています。
 自我の発達過程においては、太母との対決は1つの大きな課題となります。

母親へのイメージと神秘的融即

 ユングは、子どもの成長には実際の母親だけではなく、グレート・マザーの影響があると考えました。それは、子どもが自身の心から影響を受ける普遍的なイメージやシンボルです。子どもにおける母親のイメージは、実際の母親と合致するとは限らず、元型や実際の母親の影響を含む子ども自身の気質や性格に依存します。
 グレート・マザーは、慈悲深く愛情に溢れた母親にもなりうるし、子どもを束縛する有害な母親にもなりえます。一般的なイメージとしては、前者が聖母マリアのような存在で、後者がインド神話のカーリーのような存在となるかもしれません。仮に母親が聖母マリアやカーリーでないと理解していても、子どもは母親をそのような存在として接していくかもしれません。
 また、良い母親(あるいは逆に悪い母親)に育てられ、自身の母親にコンプレックスを持って母親になった人物は、良い母親と悪い母親の二面性の統合が困難となります。そして、母親と子どもの関係において、子どもは実際の母親よりもむしろ元型の母親に育てられたような経験をすることになります。
 これにより生じることで、もっともありえることは、良い母と悪い母の二面性を上手く扱えないという自体です。良い母の像と投影された子どもは、悪い母親を内在化したり、子どもに対して悪い母として振舞うかもしれません。これは逆もありえます。
 分裂した母親のイメージは後の世代に継承されていき、誰かが気づくまで続いていきます。このように別個のものを区別せず同一化して結合してしまう現象を、哲学者レヴィ=ブリュルは神秘的融即(participation mystique)といいました。
 子どもは自らを親と同一視しますが、無意識的な同一視であることには通常は気づきません。これと同じような同一視は、両親や他人の間だけではなく、物や経歴などでも起きる場合があります。
 しかし、最も初期の神秘的融即は家柄によって生じ、同一視、摂取、投影というプロセスを経て両親と子どもを繋ぎます。
 同一視は他者への無意識的な投影であり、自らとは異なる別の人や物事と同一であるかのように振舞うことをいいます。同一視により、乳児は自分が母親と同じものであると思っています。
 取り入れは、体験や他者のパーソナリティや状況などを内在化することをいいます。
 起こりうる取り入れの例としては、感情移入や、他者の経験をまるで自分のものであるかのように感じる能力があります。
 一方で投影とは、無意識的に自らの心の内容を別の人物や物事になすりつけることをいいます。
 投影が起こると、その内容は相手となる人物の一部として認識され、その内容が自分の心にあるものでことは否認されます。

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