C.G.ユングがあげる元型のうちの一つです。
個人の意識によって生きられなかった半面、その個人が認容しがたい心的内容を意味します。
影の内容となるもの
一般に光があたってできる影のように、その人の心の影の部分をさします。一般的な影が物に陰影を与えるのと同様、影はある人の暗く否定的な側面を示すと同時に、その人に深みと奥行きを与えます。
影は、一般的にその人の心とは対立するものです。その統合はそうたやすいものではありません。たいてい、自分自身のものとは感じません。他者にその要素をみる「投影」という機制が働くことが多いです。影の投影が考えられるときとしては、以下の例が挙げられます。
- 「どうも虫の好かない」と思う人がいる
- ある人の悪口を盛んに言っているとき
影の種類
影には「個人的無意識」の領域の影と「普遍的無意識」の領域の影とがあります。
個人的無意識の影は、ある個人が自我を確立していく中で出来上がっていく影です。たとえば、人にやさしくあろうと努力してきた人に潜む攻撃性や残忍な部分などが挙げられます。
普遍的無意識の影は、多くの人々に共通に「悪」としてとらえられてきたものです。この元型のイメージとして表現されたものには、昔話や民話にでてくる悪魔や鬼、化物があります。
現代文明の進歩は、人間が意識できる部分を増すことに貢献しました。しかし、それと同時に影の闇も濃くなりました。影はもはや切り捨てることのできない存在だといえます。
影との対話
日常場面で他者と関わるとき、腹が立ったり虫の好かないと思う相手と出会うことがあります。しかし、そのような形で認識される相手が自分自身の影と関わりが深い場合が少なくありません。
例えば、ウジウジしていると嫌われると思って明るく振舞っている人物は、ウジウジしている人を見て腹を立てることがあります。それは、自分の内に抑え込んでいる影(つまりウジウジした自分)を相手に投影させたためイライラするのかもしれません。
似たようなことは「暗い自分と明るい自分」や「革新的な自分と保守的な自分」などの間にも見られます。完全に暗い性格であったり、逆に完全に明るい性格であることはありえません。どんなに明るい人柄の人物でも、どこかに暗い部分は持っているものです。こういった自分の中の影に気づき、その影と対話することは人生を豊かにする上で大切なことなのです。