コンプレックス (complex)

 コンプレックスとは、C.G.ユングが提唱した、一定の感情を核にした無意識内の観念や記憶の集合体を指します。観念複合体とも訳されます。
 一般的にはコンプレックスは劣等感と意味が混同されていますが、ユング心理学においてはコンプレックスと劣等感は区別されます。
 劣等感は文字通り自分が人より劣っているという感覚をいう一方で、コンプレックスは苦痛、恐怖感、羞恥心など意識には受け入れがたい感情の集まりをいいます。そのため、通常は自我によって抑圧されて意識されることはありません。その意識化は嫌悪感や無力感、罪悪感を伴うために容易ではありません。

言語連想検査とコンプレックスの発見

 コンプレックスが発見されたのは1906年のことです。
 ユングが言語連想検査の中で発見しました。
 言語連想実験の手順は以下の通りです。
(1) 検査者は被検査者に、ある言葉から連想する言葉を1つずつ挙げてもらう(全100問)
(2) 1つ1つの言葉に対する反応語と反応時間を記録する
(3) 100問が終わったら、被検査者に再び最初に連想した言葉を答えてもらう
 言語連想検査を行った際に、ユングは被検査者が特定の言葉に対して連想時間の著しい遅延が生じることに気づき、その理由をコンプレックスの存在に求めました。ユングは連想遅延の理由を、刺激語に誘発されたコンプレックスが、当人の意識によってコントロールされなかったためと考えました。
 ユングは「白」という言葉に対して、しばらく躊躇してから黒と答えた患者を例を挙げています。この患者に対して、再び「白」に対しての連想を聞いたところ死者の顔を覆う布を連想したことや、最近この患者の非常に親しい人物が亡くなったこと、そして黒は喪の色としての意味をもつなどがわかりました。「白」に対しての「黒」という連想は、一見すると通常の連想に思えますが、時間の遅れが生じたのは、患者の感情の動きが関係していたといえます。

コンプレックスの形成

 コンプレックスの形成については2通りが考えられています。
 1つ目は、心的外傷体験が中核として形成されるという考え方です。例えば、幼少期に父親に殴られるという経験が原因となって、その後の人生において父親や会社の上司のように自分より目上の人間に対し過剰に反応する場合がこれにあたります。
 もう1つは、普遍的無意識を前提にして形成されるという考え方です。つまり、生後の養育環境だけが原因でコンプレックスが形成されるのではなく、人類が普遍的に抱くコンプレックスがあるのだとするものです。

コンプレックスと自我

 自我とは、自分自身の意識の中心というような意味で使われる言葉です。
 臨床心理学者の河合隼雄によれば、コンプレックスと自我の関係は、ある党派での派閥に似ているといいます。彼によれば自我というのも一つの派閥であるが主流派として政権を握っている、つまり、運動機能の統制力を持っています。そのような意味で自我はコンプレックスの一種だといえます。

 しかし、通常は主流派である自我の統制に従っている派閥も、問題の種類によっては、主流派の思い通りにならないように、コンプレックスは問題に従ってその感情を露呈します。
 自我とコンプレックスの関係は大別すると以下のようになります。

自我がコンプレックスの存在をほとんど意識せず、影響を受けていない

 コンプレックスがあったとしても、ほとんど意識せずに生きている状態をいいます。ただし、意識していないだけであって、コンプレックスというものは存在しています。むしろ、人間である以上は誰しもがコンプレックスを持っています。もしも、コンプレックスがなくなった場合どうなるかについてユングは次のように述べています。
「コンプレックスは心的生命の焦点であり、結節点である。これは無くなってはならないものである。なぜならば、コンプレックスがなくなれば、心の活動は停止してしまうだろう」
 これはコンプレックスは良くも悪くも心を動かすエネルギーであり、それがなくなるときは心の死であることを意味しています。
 コンプレックスの存在が自我に意識されていない間に、コンプレックスが無意識下で強力になっていくことがしばしばあります。そして、あるとき突然、コンプレックスの活動が自我より優位になるとき、心の機能が暴走し犯罪に走るなどして恐ろしいことになります。

自我が何らかの影響を受けている

 自我がコンプレックスから何らかの影響を受ける場合、自我の強度や、自我の対処の仕方で状態が異なります。
 まず、コンプレックスの存在を自我が意識していないが、コンプレックスの働きが自我に及んでいる場合、感情の揺れとして体験されます。この場合は、外からも観察できます
具体的には理由はわからないけどイライラする、気分が沈んでしかたがないなどのときがこれです。
 あるいは、本人は一応コンプレックスの存在を理解しているけれど、コンプレックス自身の力が弱まっていない場合もあります。知的な理解をすることは必ずしも問題解決に繋がるとは限りません。自分のコンプレックスのことを知っているから少しはコンプレックスの力を弱まることができるという場合と、問題を知性化するだけでコンプレックスの本質との対決から逃げている場合があるのです。

自我とコンプレックスが完全に分離し、主体性の交代が行われる

 いわゆる二重人格の現象として表れている場合をいいます。
 コンプレックスは葛藤を引き起こし、自我の主体性をおびやかします。これが一個の人格として現れ、自我の座を奪ってしまうのが二重人格(複数の人格ならば多重人格)です。

自我とコンプレックスの間に望ましい関係がある

 コンプレックスが解消された場合をいいます。ただし、コンプレックスを解消するのには多大な労力を要します。そもそもコンプレックスは、本人からはきちんと認識されにくいという性質を持っています。
 コンプレックスを解消させるには、まずそれを何らかの形で外に表現する必要があります。しかし、表現するためには、ある程度コンプレックスに気づかなくてはなりません。そのため、治療者は被治療者のコンプレックスを解消しようとする場合、根気よく付き合っていく必要があるのです。

コンプレックスとカウンセリング

 コンプレックスの概念は、カウンセリング過程でみられる不適応の理解に役立ちます。
 自我とコンプレックスの関係によりクライエントの不適応行動を考えるとよいとされます。自我が強く、コンプレックスをほとんど抑圧しているか、これをしっかり自覚している場合には現実適応が可能となります。
 しかし、反対にコンプレックスが強くこれに比べて自我が脆弱な場合、自我によるコンプレックスのコントロールがうまくいかず、現実適応が危うくなり、本人の意思に反した言動に翻弄されることになる場合が多いです。このとき、クライエント本人には結果としての不適応が自覚されるに止まることがほとんどです。その場合、カウンセリングの中でクライエントがコンプレックスに触れ、その存在を認めながら自身のコンプレックスについての理解を深めていくことで、自我によるコントロールが可能となっていきます。
 ただし、カウンセリングで特定のコンプレックスを見越し、これを当てはめていくやり方はいかにも便利でありながらクライエントの個別性を無視する結果となり真の理解から遠ざかります。いわゆるステレオタイプな理解に陥る危険があるので注意が必要です。
 コンプレックスの強弱や特性はその人の属する民族文化によって異なります。また、各個人の幼少期の心的外傷体験と生活史によっても千差万別です。その個別性がカウンセリングを通して明らかにされるところとなります。
 コンプレックスが意識出来にくい理由をカウンセラーがしっかりと自覚しておく必要があります。コンプレックスの自覚は無力感、罪悪感、羞恥心などわれわれに多大な不安を引き起こす情動を伴うからです。そのことを、カウンセラーは深く自覚しておかねばなりません。
 コンプレックスは、このような不適応行動や症状に影響を与えること加えて、失錯行為、夢とも関係が深いです。とくに、自我の力が弱まった睡眠中の夢にはコンプレックスが表されやすく、夢がコンプレックスを理解する重要なヒントを与えてくれることがあります。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする