自己 (Self)

 自己とは、C.G.ユングの提唱した元型の一つです。自己は心全体の中心です。心の発達や変容作用の根源的な原点となる元型となります。つまり、人の意識と無意識を統一して、心の全体のことをいいます。ユングは、自己と個性化過程は密接に関係しているといいます。
 自己の象徴としては円や正方形、あるいはマンダラがあります。

自己と自我の違い

 ユング心理学においては、心には自我と自己の2種類の中心があると考えます。
「自我」と「自己」は区別される概念です。「自我」とは、意識(今気づいている自分)の中心です。一方「自己」は意識と無意識を合わせた心全体の中心を意味する概念です。
 また、自己は心の中心だけではなく心全体そのものを指すこともあります。
 自我が小さな自己充足的な円であるのに対して、自己は大きな円として理解することもできます。

自我の肥大化

 自己の働きは、自我の積極的な働きなしには成功しません。自我と自己は相互関係にあることをしたA.サミュエルズは「自己は自我よりも優れた性質をもっているにもかかわらず、自己と自我も独立して存在しない」とし、「自我が自己を必要とするのと同様に、自己も自我を必要とする」と述べています。
 自我が相応の強さを持たない限り、自己を強調することは危険です。自我が自己の力に圧倒され、いわば自分を喪失してしまうか、あるいは肥大化して自己と同一化し、人生のすべてを知り尽くしたかのような、内実の空虚な人格となってしまう危険性があります。

ユングが考えた個人の一生

 ユングは自分の個人的体験や多くの臨床例から、心の中心にいわゆる自我を置くのではなく、意識の領域と無意識の領域をともに包括した、心全体の中心として、自己という表現を導入しました。
 意識の中心となる自我は別のものとして、こころ全体の中心をとらえたほうが、さまざまな心の現象をよりよく把握できると考えました。
 ユングは個人の一生は、無意識の中に存在するさまざまなコンプレックスが自我へと意識化され、統合されていくプロセスであると考えました。そこに働いている無意識の力の主体なるものを自己と定義しました。言い換えれば、自己とは意識も無意識も含めた「私なるものの全体性」を指し示します。
 ユングは、生まれた瞬間からあらゆる個人は自己による完全に独自の感覚を持っていると考えましたもっとも、発達において単一の独自だった感覚は自我-意識の結晶化を伴います。自我が分化する過程は、その人の前半生を通して作用します。しかし、ユング心理学においては精神的な健康は定期的な自己への回帰に依存するとされています。それらは、神話やイニシエーションや通過儀礼を通して促進されます。

個性化

 自我の分化が上手くいき、個人が外界と適応できていたならば、新しい課題が後半生に生じるとユングは考えました。それにより意識のあり方が再発見されます。これを個性化といいます。
 通常、個性化はその人自身の精神的な中心への接近は、個人のあり方の危機に生じることが一般的です。
 個人的な危機に直面する場合、自我は行き詰まりに直面しているといえます。こうした場合、人格において一種の隠れた可能性が指示しているものの援助が必要となります。ユングはこれ自己と呼び、心の小さな部分である自我と区別したのです。
 自己の導きに従い元型的なイメージが浮かび上がります。そして、徐々に断片的なものがもたらされ、心の全体を把握できるようになっていきます。
 この場合、最初に現れるのは影(シャドウ)や個人的無意識などがあります。
 次に現れるのは、アニマやアニムス、つまり魂のイメージです。 アニマとアニムスは自我と自己を仲裁するような働きをします。
 3番目に出てくるイメージは老賢者です。これは自己に近い集合的無意識の超自然的なイメージです。
 その後には、自己そのものの元型に近づきます。これが個性化の自己実現の最後の道です。この時に、自我-意識、影、アニマやアニムス、集合的無意識を受け入れることになります。
 ユングは夢に登場する自己のイメージの代表として石や世界樹、象やキリストが挙げました。

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