ルネ・デカルト

 ルネ・デカルトは、フランスのラ・エーに生まれました。デカルト10歳のとき、イエズス会のラ・フレーシュ学院に入学します。そこでスコラ哲学を学びますが、やがて「書物の学問」に失望し、「世間という大きな学問」を学ぼうとパリへ向かいます。
 1618年、志願兵としてオランダへ出征した際に数学者・ベークマンと出会います。デカルトは彼との交流の中で、数学による自然的認識(自然を数量化して考察する方法)を思いつきます。その後、研究を重ね、自然哲学の研究成果を『方法序説』として出版しました。

方法的懐疑

 方法的懐疑とは、デカルトの行った絶対に確実なものを探すための哲学的な手法をいいます。方法的懐疑では、絶対に確実なものが見つかるまで、すべてを疑ってかかります。
 この世にあるものは、疑いの眼差しで見れば、どんなものでも確実とはいえません。例えば、現実そのものだって自らの見ている夢なのかもと疑えないわけではありません。
 このように考えると、確かなものなど存在しないかのように思えます。しかし、全てを疑っている自分自身はどうかという問題が最後に残ります。すべてのものは疑わしいけれど、すべてを疑っている自分自身だけは、確実に存在しているとデカルトはいいます。

我思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)

 方法的懐疑による、すべてを疑っている自分自身だけは確実に存在しているという発見を「我思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」という言葉で表しました。
 これは、考えている限り私が存在しているということ、つまりは自分自身の本質が精神としての存在であることを意味します。
 この考え方により、それまで神を中心に探究が行われた哲学が、自分(自我)を中心にした探究へと移行していきます。

主観―客観図式

 すべてを疑っている自分自身が絶対確実でも、自分自身しか存在していないのでは何も始まりません。そこでデカルトは自分自身が認識されるのと同じように明晰かつ判明に認識されるならば、自分自身と同じように確実なものであると考えました。つまり、絶対確実な自分が認識することによって、世界のすべては存在しているというのです。
 これは一見すると、方法的懐疑の出発点に戻っただけで無意味な思索に思えますが、そうではありません。懐疑を始める前は、自分という存在はすでに世界にあるものに依存して存在しています。しかし、懐疑を行うことで、世界にあったものは一度なかったことにされます。しかし、それでも疑っている自分自身は残ります。このとき自分自身は、他の何物にも頼らず、それだけで存在しています。
 懐疑以前の段階では、世界が自分より先にあり、自分自身はその中に存在していました。しかし、懐疑を行うことにより、自分自身は世界の外に、世界より先に存在していることになります。こうして自分自身という「主観」と、その外側にある世界という「客観」が生まれるのです。
 自分自身が世界に先立ち、世界の存在を支えるという考え方を「主観―客観図式」といいます。「」主観―客観図式は、その後現在に至るまでの西洋哲学の基本的な枠組みとなります。

方法的懐疑と自然科学

 方法的懐疑における「懐疑」とは、その名の通り方法論です。つまり、デカルトだから特別にできたわけではなく、努力次第では誰にでも習得できる技術なのです。また、同じ方法を用いれば誰でも同じ結果にたどり着きます。
 同じ方法を使えば、誰でも同じ結果に至るという考え方や、自分自身が認識したものだけが自然の姿であるという発想は、自然科学につながる部分があります。
 現在の自然科学のあり方は、その研究を行う者すべてに共有され、正しい観察や実験の方法に確かめられた(つまり懐疑された)ものだけが確かなものです。デカルトの思想は自然科学の哲学的な表現に他ならないのです。

心身二元論と蜜蝋の比喩

 心身二元論とは、自分自身の思考と身体は、それぞれ異なる本質を持つという考え方です。デカルトは心身二元論を唱えていました。
 デカルトは自分自身という存在の本質は思考にあるとしました。一方で、身体は単なる物質でしかありません。
 物質の本質に迫るべく、デカルトは蜜蝋の比喩という思考実験を行いました。
 蜜蝋は、温度の変化によって色や形を様々に変えていきます。しかし、どんなに変化しても蜜蝋であることには変わりありません。仮に蜜蝋が固体・液体・気体どの状態であっても、蜜蝋は常に一定の場所や空間を占めています。このように物質が占める空間的な拡がりを延長と呼びました。
 物質の本質は延長(拡がりを持つこと)だとデカルトはいうのです。

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