フランシス・ベーコンは、イギリスの名家に生まれた哲学者です。政治家や司法長官を歴任した後、大法官まで出世した人物でもあります。汚職で公職を退いてからの晩年は、研究と著述に没頭しました。
帰納法
自然の探求方法としてベーコンは、法則から事実を予見するアリストテレス的演繹法に対し、帰納法を提案しました。帰納とは、実験や観察によって得られた個々の事実から法則性を発見する方法をいいます。
知は力なり
「知は力なり」とは、ベーコンの知識に対する姿勢を端的に表現した言葉です。
ベーコンは、帰納法により自然における個々の現象を観察・分析し、そこから新しい法則を発見し、更にそれを技術や実践として用いるべきと説いています。つまり知識があれば、自然の持つ力を引き出せるとしたのです。
アリストテレス以来、知識は人間が真理を得るためのものであり、精神的に価値を持つものとされてきました。しかし、ベーコンはそのような知識は議論に勝つくらい程度の価値しかないと考えました。そうではなく、知識を発明や発見に知識を結びつけて実用化することが大事だとベーコンは唱えました。
イドラ
イドラとは、ベーコンの哲学における、真理に到達する上で避けねばならない先入観をいいます。自然の解明のためには一切のイドラを除去することが重要だと説きます。
イドラには、以下の4つがあります。
種族のイドラ(自然性質によるイドラ)
主観的な認識を真の姿と考える誤りをいいます。これは人類一般に共通してある誤りでもあります。種族のイドラには、暗い場所では別のものに見誤ることなどがあげられます。
洞窟のイドラ(個人経験によるイドラ)
自分が持っている狭い視野と関心のみで判断しようとする誤りをいいます。これはいわゆる「井の中の蛙」といった状況にあたります。
市場のイドラ(伝聞によるイドラ)
言語表現などの人間の社会的交渉によって生じる誤りをいいます。これには例えば、噂などを信じてしまうことがあります。
劇場のイドラ(権威によるイドラ)
過去の哲学や権威をそのまま信じ込んでしまう誤りをいいます。例えば、中世においてカトリック教会が唱えてきた天動説的な宇宙観などがこれにあたります。