イマニュエル・カント

 イマニュエル・カントは、ケーニヒスベルクに生まれたドイツの哲学者です。
 彼は大陸合理論と英国経験主義、ルソーの社会契約説など、様々な思想を研究しました。それらを練り直した上で構築される彼の哲学は近代哲学史の分水嶺とも呼ばれています。
 彼の著書には『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』があります。
 カントは、認識・道徳・芸術の原理についてを唱えており、ドイツ観念論の起点とも呼べる人物です。

コペルニクス的展開

 コペルニクス的展開とは、物事の見方を180度変えることを比喩した言葉で、元々はカントが自身の哲学を評した言葉です。ここでいうコペルニクスとは、天動説が常識であった世にあって、発想を180度変えた地動説を唱えた天文学者の名前から来ています。
 従来の哲学では、人間の認識は外部にあるものを理性によって認識しているとされました。つまりは五感を使って受動的に対象を捉えていると解釈していました。
 ところが、カントはこれとは全く逆のことを考えました。カントによれば人間は物自体を認識しているわけではないといいます。人間は逆に外界に働きかけて、能動的に認識の対象を自ら作り上げているとしたのです。つまり、対象が認識に従うと考えたわけです。
 ただし、カントのこの考え方は人間が無から何かを作り上げているというわけではありません。対象の本質を掴むためには、五感を通して入ってくる様々な情報を、理性によって整理する必要があるといっているのです。

アプリオリ

 カントの考える啓蒙とは、各人が認識・思考能力を鍛え他人に踊らされずに自分で判断・行動できるようになることでした。そこで問題となってくるは自然の中に因果法則を発見していく自然科学の否定ともいえるヒュームの懐疑論でした。カントは自然科学の可能性の確保のためにヒュームの意見に反対しました。そこで用いられるのがアプリオリという考え方です。
 アプリオリとはラテン語で「何かに先立つ」という意味の言葉です。カントは自然科学が成り立つ根拠をアプリオリな原理に求めました。
 自然科学の大前提をなす原因結果の因果性や物の同一性という考え方は、観察を積み重ねて帰納的に導くことはできません。そこでカントは因果性や同一性の原理は経験(認識)を可能にするアプリオリ(経験に先立つもの)であるとしました。これにより、カントは自然科学の成立根拠を示したのです。

「物自体」の世界

 カントが言う「物自体」とは、認識を超えた領域にあるものを指します。例えば、目の前に紙に書かれた三角形があったとしても、それは「紙に三角形が書かれている」というだけで、三角形そのものは認識を超えたところにある「物自体」であると言えます。また、認識を超越しているという点では霊魂や神もまた「物自体」であるといえます。
 霊魂や神などは本当に存在しているのかは知りようがありません。これらについては支持する推論と否定する推論の双方が成立して決着がつきません。伝統的な形而上学の問いは人間の認識能力を超えた問題です。それについていかなることを述べても、知識や認識には値しないとカントは考えました。
 カントによれば、人間が知り得るのは現象の世界だけです。現象の世界には、「万有引力があるから惑星の運行が存在する」「電磁気力があるから雷が発生する」などがあります。これら現象の世界は人間の理性の対象になりえます。

当為の意識

 当為とは、道徳原則や個別的な実践的諸問題についての態度決定で「~すべし」という形式の判断様相をいいます。
 人間はどんな悪人でも、心の奥では「本当はこうするべきではない」という罪の意識を持っています。これは、現実世界とは別のところに、もうひとつの世界である当為の世界があって何らかの形で人間に関わっているからだとカントはいいます。その上で人間にとっての真の自由とは物質的な欲望や快楽ではなく、それらを目的としない道徳的活動にあるとしました。

理性の自律

 一部の人のみに当てはまる道徳を仮言命法といいます。これには例えば「健康でありたいなら節制せよ」などがあります。仮言命法は普遍的な道徳とはいえません。
 一方で全ての人に当てはまる道徳を定言命法といいます。これには例えば「自分だけを特別扱いしないこと」「他人を利用するときは自分も他の人の役に立つこと」などがあります。
 カント以前の倫理思想は幸福追求が前提でした。それに対してカントは、人間が従うべき義務を自分で発見し、自分で自分を律することで理性の自律が達成できるとしました。

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