ヨハン・ゴットリープ・フィヒテはドイツ観念論の哲学者の一人で、ザクセンの寒村ランメナウに生まれました。彼はイエナ大学、ライプチヒ大学で学びました。
著作には『あらゆる啓示の批判の試み』があります。彼はこの著書によって名声を得てイエナ大学で教鞭をとることになります。しかし、無神論を信奉していると告発され、ベルリンに移住します。その後は、エルランゲン大学での哲学教授を経て、1810年に新設されたベルリン大学の初代総長となりました。
主観的観念論
フィヒテの哲学は、自我を中心としたものであるため、主観的観念論といわれます。
フィヒテはカント哲学を批判することで、その先を目指そうとしました。
カントによれば、人間の理性には以下の2つがあるといいます。
- 理性的理性:現象を正しく理解認識する理性
- 実践理性:物自体の世界で、自らの理性を確保する理性
しかし、フィヒテは実践と理論を分けて考えるべきではないと考えました。理論的な考え方は、人間が現実の世界に生きる中(実践)で使われます。したがってわざわざ分けて考える必要はなく、どちらも自我と呼んでも差し支えないと唱えたのです。
実践的自我と理論的自我
フィヒテは自我の活動において、実践的自我が理論的自我を先行すると考えました。
例えば、どのような生き物であっても、まずは生き続けようと活動するからこそ、周囲を把握する認識能力が必要となります。この場合、生き続けようと活動することが実践的自我、周囲を把握しようとすることが理論的自我といえます。
生き続けるためには様々な障害がつきまといます。しかし、障害があるという認知があるからそれを乗り越えようとする努力は始まります。同時に、努力があるから認知も生じます。このような考えにより、カントの考えでは分断されていた認知と実践は不可分なものとして結び付けられます。
ただし、生きていく上で障害は際限なく存在します。そのため生きることへの自由度を上げる営みは無限のものになってしまいます。この点は後にヘーゲルから批判されることとなります。