アリストテレス

 アリストテレスは、スタゲイラ生まれの哲学者です。その多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれます。イスラム哲学や中世スコラ学、更には近代哲学・論理学にも大きな影響を与えました。
 アリストテレスはプラトンの弟子で、プラトンが学頭を務めるアカデメイアで学びました。プラトンの死後は、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の教育係になりました。その後は、アテネで自らの学園リュケイオンを開き、弟子を育てました。
 イデア論に代表される理想主義的な思索をしたプラトンに対し、アリストテレスは経験や感覚を重視する現実的思索を展開しました。

質料(ヒュレー)と形相(エイドス)

 プラトンは現実世界の他に、イデア界という理想形によって成り立つ世界があると考えていました。しかし、この考え方は現実世界の価値を認めない偏った考え方にもなりかねません。そこで、アリストテレスはイデア論の改良に着手します。
 プラトンは存在を存在たらしめる本質が、現実世界を超越したイデア界にあるとしました。これに対し、アリストテレスは本質とは、超越的ではなく個々の物事の内側に存在していると考えました。アリストテレスの考えでは個々の物事(個物)は「質料(ヒュレー)」、物事の本質は「形相(エイドス)」と呼ばれます。

作用因・目的因・質料因・形相因

 アリストテレスによれば、自然の個物が完成されるためには以下の要因が必要になります。

  • 作用因
  • 目的因
  • 材料因
  • 形相因

 例えば、植物の種からは、その種が成長して巨木になった姿は想像できません。しかし、種は成長するために水分や養分を摂取します。このように成長のためのきっかけとなる要因を「作用因」といいます。また、成長の過程で通過する巨木に近づきつつある姿を「目的因」といいます。巨木を物質的に構成しているものが「資料因」であり、成長した巨木の真の姿が「形相因」です。

可能態(デュナミス)・現実態(エネルゲイア)・現実態(ウーシア)

 前述の種と巨木の話を例にすれば、種は巨木としての形相(本質)を内側に秘めていますが種の段階ではまだ巨木ではありません。このようにまだ実現されていないけれど、可能性を内包している状態をアリストテレスは「可能態(デュナミス)」といいました。そして、その可能性が本質に到達した状態を「現実態(エネルゲイア)」と呼びました。
 つまり、いろいろなものになりうる可能態の状態の質料に、形相が加わり、初めて特定の個物として存在できるのです。この存在している状態をアリストテレスは現実態(ウーシア)と呼びました。
 更にアリストテレスは、完成形に向けて物事は絶えず発展していると主張しました。
 例えば、先ほどの種と巨木の話でも、種は巨木になって終わりというわけではありません。巨木という現実態は、同時にまた巨木以外の何かになりうる可能態であるのです。巨木から木材が切り出されれば、それは紙にもなりえます。紙になれば知識が著される本にもなりえます。本の中の知識は人間が己を高めるのに使われるかもしれません。このようにして、可能態から現実態からの変化は「魂の完成」に向かいます。

幸福(エウダイモニア)と不動の動者

 イデア論を不必要と考えたアリストテレスですが、人間の幸福(エウダイモニア)は神の生活に近づくことでした。神は自分以外の何者にも煩わされることがない理性的な存在です。したがって、神は自ら動くことなく他を動かす者「不動の動者」となります。例えば、神は天体の運行の原因であり、あらゆることの原因であるというということになります。
 この神の生活こそがアリストテレスにとっては理想でした。人間は幸福を追求すべきですが、その方法には以下の3種類があります。アリストテレスの目指した幸福は3つ目の観想的生活でした。

  • 享楽的生活:欲望の満足や快楽を追求する生き方
  • 政治的生活:名誉と正義を追求する生き方
  • 観想的生活:他に煩わされず自立し、真理を探求する生き方

論理学

 アリステレスは、論理学があらゆる学問成果を手に入れるための道具としました。
 その上で、学問体系を以下の3つの段階に分類しました。

  • 理論(テオリア)
  • 実践(プラクシス)
  • 制作(ポイエーシス)

 更に理論学を自然学と形而上学に、実践学を政治学と倫理学に、制作学を詩学に分類しました。

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