カール・マルクスはドイツのトリールに生まれた哲学者で、エンゲルスとともに共産主義・社会主義という概念をつくりました。
経済学の研究を通して、従来の社会システムを根本から変革しようとした彼の思想は20世紀の歴史を動かした原動力ともいえます。
著書には『資本論』などがあります。
ヘーゲル学派としてのマルクス
ヘーゲルの死後、ヘーゲル学派は、キリスト教の融合を考えるヘーゲル右派と、神の存在を否定するヘーゲル左派に分裂しました。
当初マルクスは左派の流れに属していました。左派の流れにはフォイエルバッハも属していました。フォイエルバッハは著作『キリスト教の本質』の中で、以下のように主張しました。
- 宗教の内容と対象は徹頭徹尾人間的である
- 神学の秘密は人間学である
- 神学の本質の秘密は人間の秘密である
これらの宗教批判を政治批判にまで推し進めることで、マルクスは独自の境地を切り開いていきました。
弁証法的唯物論
マルクスの立場は、後に弁証法的唯物論と呼ばれるようになります。これはマルクスの思想がヘーゲルの弁証法とフォイエルバッハの唯物論を批判的に受け継ぎつつ展開されたことを意味しています。
ヘーゲルの弁証法では、あらゆるものは常に運動し発展していくとされます。一方でフォイエルバッハの唯物論では意識よりも物質的自然の方が根源的なものであるとされます。マルクスはこの2つの考え総合し、世界の本質は運動し発展する「物質」であると考えました。そして、その運動の源となっているのは、万物が内在する「対立」であるとし、歴史とは人間同士のぶつかり合いによって作られていくとしました。
労働者と資本家と余剰価値
マルクスは産業社会における労働者の地位の状況を問題にしました。
19世紀、特に英国では選挙法の改革によって財産の有無に関わらず投票権が普及しました。そのため、財産の不平等は政治闘争の主題から外れ、結果として財産の不平等が拡大しました。こうした資本主義社会では労働者が疎外されることになります。
資本主義社会においては、分業という労働形態が高度に発達することで労働者の疎外は顕著になっていきます。分業体制が発達すると、労働行為は代替え可能なものになっていきます。つまり、どの人間がどの労働を受け持つかなどは些細な問題に成り下がってしまいます。これにより、労働者(プロレタリアート)がまるで物のように非人間化していくのを感じざるを得なくなります。
また、労働者が分業化により効率的に多くの商品を生産すればするほど、自分の暮らしを支えるのに必要な範囲以上を超えていきます。その結果として余剰価値が生まれて資本家は潤います。しかし、これは資本家が力をつけることに他ならず、結果として労働者の価値は相対的に減少していきます。
このようにして、本来は人類の結合を確保するためのものであった労働が、かえって人間が人間から疎外される状況を生んでいるとマルクスは主張しました。
イデオロギー
社会の土台となるのは、生活に必要な物資を生産する形式である農業や工業、交通形態や所有形態です。このようなある社会の生産形式は下部構造と呼ばれます。一方で宗教や法制度や人々の考え方などは上部構造と呼ばれます。
これまで人間が自分で決められると考えてきた社会の上部構造は、実は社会の下部構造のあり方に左右されているとマルクスはいいます。ところが人は自分の考えが社会の中で自分の位置によって決定するとは認めたがりません。これによりイデオロギーは生まれます。
唯物史観
唯物史観とは、生産条件の矛盾が歴史を動かすという考えをいいます。
一定の生産形式における生産力が高まると、それまでの生産形式や所有形式との間に矛盾や軋轢が生まれます。その結果、新たな生産形式・所有形態が生まれ社会は発展するのだとマルクスは説きました。