飛鳥・奈良時代の思想

 飛鳥・奈良時代は仏教が大陸から渡来し、日本の思想に長く影響を及ぼすことになります。
 当時の仏教は大陸の最新文化でした。しかし、新しい神の受け入れをめぐり、古来からの神を奉じる物部氏を中心とした反対派と、渡来人の末裔である蘇我氏を中心とした賛成派の争いが起こります。この争いは最終的には蘇我氏が勝利を収めます。
 蘇我氏の勝利を受け、推古天皇が即位した後に朝廷は仏教を正式に認めます。推古天皇の摂政だった聖徳太子により、仏教思想は国内に広まっていきます。
 701年には日本で初めての法令集である『大宝律令』が施行されます。その中には僧尼についての法律も定められていました。これにより、国の災いを鎮め安泰にすることを主務とする官僧以外は正式な僧侶として認められなくなりました。ところが、国の許可を得ずに僧尼になるものは後を絶たず、こういった人々は私度僧と呼ばれ迫害を受けます。しかし、私度僧の中には民間で仏教者として活動し、民衆から支持を得た者もいました。その代表が行基です。
 そして、8世紀中盤、鑑真が中国から日本を訪れ、東大寺に日本初の戒壇が設けられました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする