鑑真

 鑑真は、中国揚州の出身の僧侶です。彼は日本からの招請に応じ、何度も渡航を試みるも失敗し、六度目の挑戦にしてようやく日本にたどり着きます。その十二年の間に失明しましたが、授戒伝律を任されました。
 授戒伝律とは、僧になろうとする者は、すでに僧となっている者から仏の定めたそれぞれの戒律を受けることが必要な制度をいいます。当時は納税義務を免れる目的で僧になる庶民が増大していたため、それを取締まるために設けられました。
 晩年、鑑真は奈良に唐招提寺を建てて、律宗の布教を行いました。

授戒制度

 僧になるためには、すでに僧となっているものから戒律を受けることが必要です。
 授戒とは、僧になりたいという者に対して戒師が儀式を授けることをいいます。一方で、受戒とは儀式を受ける側からみた言葉です。
 鑑真が現れる以前の奈良時代の日本では、僧侶を任命する権限は朝廷が持っていました。僧になりたいものは役所に届け出をして、許されると師について出家し見習いの僧になります。このとき僧になった者は一般の戸籍から僧籍に移り、納税義務を間逃れます。
 受戒の儀式は仏教公伝から約200年の間、仏門で自ら誓う自誓受戒という方法でした。しかし、文明の中心である唐では、三師七証という方法で行われていました。これは、威儀作法を教える教授師の3人と、証人となる僧7人の立ち会いで受戒する方式です。
 授戒制度を整えようにも、日本では十人の高僧がそろわず、そこで唐から戒師を招くことになりました。このときに日本に渡ることになったのが鑑真です。
 苦難の末に日本を訪れた鑑真は、東大寺に戒壇(授戒を行う場所)をつくりました。更に、下野(栃木県)の薬師寺と筑紫(福岡県)の観世音寺にも戒壇をつくりました。以後、僧侶になるためには、この三ヶ所のどこかで授戒することが必要になりました。

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