一遍

 一遍は鎌倉時代中期の僧侶で、時宗を開いた人物です。遊行上人とも呼ばれます。
 一遍は観念的な思索や難解な論理を重視しませんでした。なぜなら、浄土への往生は、信じるか信じないかよりも阿弥陀仏の名によってすでに決まっているからです。

時宗の開宗

 伊予(現在の愛媛県)の有力武士の子として生まれた一遍は、10歳のとき母と死別し、父のすすめによって出家します。
 13歳のとき、九州におもむき浄土宗の聖達の弟子になります。父の死を契機に一度還俗し、妻子をもうけますが、再度家を捨てます。信濃善光寺や故郷の窪寺や岩屋寺などで修行した後、1274年からは妻子を連れ、六字名号(南無阿弥陀仏)の念仏札を配り始めます。
 しかし、紀伊(現在の和歌山県)の熊野本宮に向かう途中、札を配ろうとしたら不信心を理由に受け取りを拒否されます。そのとき自らの行に疑問を抱いた一遍は、熊野本宮の証誠殿に100日の参籠をしているとき、衆生の浄土往生は阿弥陀如来の名号によって定まるという熊野権現のお告げを受けます。
 これを機に名を一遍と改め、念仏札に「決定往生六十万人」と追加し、妻子を捨てて、弥陀の福音を伝道する旅を続けます。時宗ではこのときが開宗だと定められています。
 更に彼は、平安時代の空也にならって踊念仏を取り入れ、民衆から熱狂的に受け入れられていきました。踊念仏とは、「南無阿弥陀仏」の六字名号に節をつけてとなえ、その節拍子にあわせて踊る宗教舞踊をいいます。

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