円仁

 円仁は平安時代の僧侶で、天台宗の三代目の座主だった人物です。慈覚大師とも呼ばれます。
 838年、密教を修めるために、遣唐使として唐に入りますが、当時の皇帝である武宗による仏教弾圧に巻き込まれ、帰国を余儀なくされます。
 唐に渡った際、密教経典『蘇悉地経』を持ち帰っており、これは『大日経』『金剛頂経』に加えて、天台宗の密教の根本となりました。
 また、彼は天台宗の根本経典『法華経』と釈迦牟尼仏と密教の教主である大日如来を同一とし融合させました。

常行三昧

 天台宗では、開祖である最澄が中国で発達した常行三昧という念仏の修行を採用しました。これは阿弥陀仏の名を唱え、その姿を思い描きながら仏像の周囲を回り続けるというものです。
 円仁は、比叡山に常行三昧堂を建てて、念仏の道場としました。

煩悩即菩提と本覚思想

 煩悩即菩提とは、煩悩を持ったままの姿をもって、悟りを開くことをいいます。生きている限り、煩悩を全て捨てることは不可能です。しかし、限りなく煩悩を緩和していくことで、菩薩界の命に近づけるとされています。煩悩即菩提という考えの背景には、天台宗では人間にはすべての仏性が備わっており、多くの人は煩悩によりそれに気づいていないだけであるという人間観があります。
 この考えが発展したものが本覚思想です。これは、人間の心はそのままで仏に通じているというものです。この考えは、出家した者も世俗の者も本質的には違いがないという天台法華思想と密教の即身成仏の思想などから生まれました。そして、平安中期以降の末法思想に影響を与え、次に続く鎌倉仏教誕生の背景となりました。

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