道元

 道元は、鎌倉時代初期の僧侶で、日本における曹洞宗の開祖となった人物です。
 道元は最高位の貴族の家系に生まれました。しかし幼少時代に父と母を亡くし13歳で比叡山に入りました。17歳になった道元は比叡山を下りて栄西の建てた建仁寺に入ります。そして、栄西の弟子である明全のもとで修行を始めます。
 24歳になった道元は明全とともに宋に渡ります。明全は宋の地で没しましたが、道元は帰国を果たし、日本に曹洞宗を広めます。

曹洞宗

 日本における曹洞宗は、道元によって広められました。
 曹洞宗では、南無釈迦牟尼仏として釈迦を本尊とします。即心是仏(心は仏と異なるものではなく、心がそのまま仏であるということ)の心をもって、主に坐禅により働きかけます。
 曹洞宗では、無限の修行こそが成仏であるとし、只管打坐を基本とします。

只管打坐

 只管打坐とは、ひたすら坐禅をするという意味です。曹洞宗では、悟りの境地を得るためには念仏や教義を学ぶより、坐禅に打ち込みます。
 道元の坐禅は栄西の臨済宗のように公案を考えるために行うわけではありません。道元の坐禅は黙って行うものであり、これは臨済宗の公案禅にたいして黙照禅と呼ばれます。

身心脱落

 身心脱落とは、坐禅をしながら自由自在の無心の境地に到達することをいいます。曹洞宗においては心身脱落が悟りだとされます。道元は、宋に渡っていたとき如浄禅師のもとで修行し、身心脱落することで、悟りを得たとされています。
 仏教の悟りとは煩悩から解放されることです。道元は、自己の体や心への執着から生まれる煩悩から解放された境地が身心脱落であるとしました。

修証一等

 修証一等とは、修行と悟りの関係を言い表した言葉をいいます。「修」は修行で、「証」は悟り、そして「一等」とは同一であるという意味です。
 人は本来仏性も持つのだから、修行とはそれを自覚するためのものです。坐禅とは、自ら仏性をより強く感じることであり、一度悟りを得れば坐禅をする必要がないという考えは間違いです。このような考えから道元は「釈迦、達磨も今なお修行中」だと言いました。

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