日蓮

 日蓮は、鎌倉時代の仏教の僧侶で、日蓮宗の開祖でもある人物です。
 日蓮は安房国(現在の千葉県)の漁村に生まれました。12歳のとき地元の天台宗の寺に入り、16歳で出家しました。その後、諸宗派を学ぶために鎌倉などを遊学し、比叡山で十数年の修行を積みました。そして、末法の時代の人々を救えるのは法華経のみという信仰に至りました。

日蓮宗

 日蓮宗は、鎌倉時代中期に日蓮によって開かれた仏教の宗派です。法華宗とも呼ばれます。
 日蓮は32歳のとき、故郷の清澄寺に戻り「南無妙法蓮華経」の題目を高らかに唱え、日蓮宗の改宗を宣言します。
 次いで日蓮は鎌倉に出て辻説法を開始します。辻説法とは、道端に立って通行人に行う布教活動をいいます。
 日蓮宗では、法華経こそが釈迦の正しい教えとされ、「南無妙法蓮華経」という題目をとなえること重視します。「南無妙法蓮華経」とは「法華経に帰依する」という意味です。

立正安国論

『立正安国論』とは日蓮が当時の幕府に提出した文章をいいます。
 この中で日蓮は、飢餓や疫病の原因は浄土信仰が広まり法華経がないがしろにされているからだとしました。その上で浄土宗を禁止しなければ国が乱れると予言しました。
 しかし、この考えは幕府に受け入れられず日蓮は伊豆に流刑されることとなりました。

折伏

 折伏とは、日蓮の布教姿勢の一つをいいます。自らの思想に反するものとは迎合せずに、自らの正しさを主張して仏法を伝えます。
 流刑が許された日蓮は、より激しい布教を行います。「念仏をとなえたものは無間地獄に堕ちる」などの主張を展開し、諸宗派を否定しました。
 これにより浄土教徒らの反発を招いた日蓮は、二度目の流刑となります。
 その後、再び流刑を解かれますが、日蓮の主張は幕府には受け入れられることはありませんでした。日蓮は身延(現在の山梨県)に隠棲し、弟子や信徒を指導しました。

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