最澄

 最澄は、平安時代の僧侶で、天台宗を開いた人物です。彼は故郷である近江の国分寺の僧として出家し、十九歳のとき東大寺の戒壇で受戒しました。その後は近江に戻らず、比叡山にこもりました。

一乗止観院

 比叡山にこもった最澄はこのとき山中に一乗止観院という草庵を建てます。「一乗」とは全ての仏教は法華経に帰り着くことを意味します。また「止観」とは、中国天台宗の祖である智顗(ちぎ)が法華経の教えに基づいて確立した瞑想法をいいます。

天台宗の開宗

 804年、36歳の最澄は遣唐使として唐に渡りました。8ヶ月という期間で天台宗を極め、帰国間際には密教も修めました。
 帰国した最澄は天台宗の設立を目指しました。そのためにまず、新年の祈願などのために行う仏教行事のために国が選ぶ得度者の中に天台僧の枠を確保しました。
 更に天台宗を名実ともに確かなものにするため行動します。東大寺戒壇などで授けてきた戒律は救いの小さい仏教である小乗戒だと批判し、最澄は比叡山に大乗戒壇を設立しようとしました。大乗戒壇とは、大乗仏教における菩薩僧と大乗の信者に与えられる戒律を与える場所をいいます。しかし、最澄自身は大乗戒壇の建立の願いを果たせないまま没しました。その後、彼の弟子や最澄を慕う貴族らの努力により没後七日目に天皇の許可が下ります。

三一権実論争

 三一権実論争とは、最澄が法相宗の僧侶である徳一とかわした論争をいいます。「三一」とは、法相宗の三乗思想と天台宗の一乗思想を指します。
 徳一は、人間の心を以下の五つに分類する五性各別説を唱えました。
・声聞乗:仏の教えを聞いて自分一人が悟り、それに満足する心
・縁覚乗:縁起という教えにより、自分で悟りを開こうとする心
・菩薩乗:誰でも悟りが開けると説き、他者の救済を目指す心
・不定乗:大乗とも小乗とも定まっていない心
・無種乗:仏道に入る素養がまったくない心
 この上で徳一は、人は生まれつきどの心を持つかが決まっていて、声聞乗、縁覚乗、無種乗の人間は成仏できないと主張しました。
 これに対して最澄はすべての人間は、悟りを開き、仏になれる素質である仏性を持っていると主張しました。声聞乗、縁覚乗、菩薩乗の区別は方便であり、修行の段階を示しているに過ぎないとしました。全ての人間が乗り込めるただ一つの大きな乗物である一乗があるだけなのです。
 すべての人間は平等に成仏できると説く最澄の教えは当時としては非常に革新的でした。彼の平等思想が下地となり、仏教は人々に受け入れられ、国家宗教の枠を超えて民衆に受け入れられていきます。

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