行基

 行基は、奈良時代の僧侶だった人物です。
 彼は民衆を指導して、橋や包、水路などの土木事業を盛んに行いました。また、税を運ぶために村から都に来て行き倒れた農民を救うために布施屋という宿泊施設を建設したりもしました。
 これらの行いは仏教で説かれる善行を目指してのものでした。しかし、国は当初、行基とその弟子が人心を惑わすものとして、都から追放してしまいます。
 しかし、行基たちは地方で私有が認められる田地の開墾を進め、結束をより強固なものにしていきます。これには聖武天皇も行基のことを認めざるをえなくなり、行基に大仏造立の協力を求めることとなりました。そして、聖武天皇は行基を我が国で最初の大僧正に任命しました。大僧正とは僧侶たちの監督役である立場の僧のことをいいます。

毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)の造立

 聖武天皇は、鎮護国家を理念とした国づくりを実現するために国分寺の建立と大仏の造立を行いました。国分寺とは、当時の行政区分だった国ごとに建てたらた寺院をいいます。
 全国に約七十ヶ所ある国分寺の総本山が東大寺でした。そして東大寺には毘盧遮那仏が造立されることになりました。盧舎那仏とはつまり奈良の大仏のことを指します。
 聖武天皇が大仏造立を命じた頃、政治は乱れており、天皇は平城京を点々と移していました。毘盧遮那仏の大仏を造ることは国家と天皇の権威を目に見える形で示すことにでした。
 大仏造立に際して実質的な責任者に抜擢されたのが行基です。この功績により行基は東大寺の四聖の一人に数えられています。

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