パウロ

 パウロは、小アジアのタルソス生まれで、キリスト教を各地に宣教した人物です。
 彼は元々、熱心なユダヤ教徒で、ユダヤ教の伝統を軽んじるキリスト教徒を迫害する立場にいました。迫害の手をダマスコ(現在のシリアの首都ダマスカス)に伸ばそうと、その地に向かいます。
 しかし、その途中でイエスの顕現に遭遇し「パウロよ、なぜあなたは私を迫害するのか」という声を聞き、キリスト教に回心します。その後はキリストの福音を各地に宣教しました。第3回の伝道旅行の後、エルサレムでユダヤ人たちに捕縛されローマに移送された後に殉教を遂げたと言われています。

信仰義認説

 信仰義認説とは、パウロが提唱した考え方です。これは、キリストを信仰することによって神に義と認められるというものです。
 ユダヤ教徒により、十字架にかけられて死んだはずのイエスは、死後三日後にこの世に蘇ったとされます。なぜ、このような奇跡が起きたのかについてを信仰義認説は説明しています。
 旧約聖書によると、アダムとイブは神の教えに背き知恵の木の実を食べたことでエデンの園を追放されます。これが人類の最初の罪である原罪です。それ以降も人類は罪を重ね続けました。旧約聖書に基づくユダヤ教の法律では、罪の重さを知らしめたとしても、償いの効果はありませんでした。人間の罪は人間自身の努力で償いきれません。だから、十字架にかけられたイエスは人間の罪を背負い、自らの肉体を犠牲にすることで神にすべての罪の赦しを乞うたのだとパウロは考えたのです。そして、イエスが死後に復活したのは神がイエスの行為を「義」と認めたからだとしました。
 このことから、復活のキリストを信仰することによってのみ、人間は神によって義とされ永遠の生を得ることができるというのです。

法律からの自由

 パウロは宣教活動の中で、法律からの自由を強調しました。
 ユダヤ教においては法律という権威は絶対化される傾向にありました。これのよって神と人間の関係が法律を守るということが目的になってしまうという形式化の危険性があるとパウロは考えました。
 パウロは法律主義によって福音(キリストの死と復活によりもたらされた救いについての神からのお告げ)が歪んだ形で解釈されるのを防ごうとしました。彼は法律主義を掲げる者たちと徹底的な論戦を行いました。パウロの活動により、ユダヤ教の持つ民族的排他主義を突破し、キリスト教は普遍性を獲得していきます。これにより、キリスト教は世界宗教へとなっていきました。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする