ネストリオス

 ネストリオスは、キリストの教父だった人物です。シリアのゲルマニキアに生まれ、アンティオキアで神学教育を受けました。428年にコンスタンティノポリスの総教主に選ばれました。
 彼はイエスの母マリアの尊称「神の母(デオトコス)」をめぐり、アレクサンドリアのキュリロスと論争を展開しました。

「神の母」と「イエスの母」

 キリストはマリアによって受肉しました。これにより、イエスの中には神としての性質と人としての性質が存在するとされます。
 それまでマリアの尊称は「神の母(デオトコス)」とでした。しかし、ネストリオスは、神としての性質を強調する「神の母」という尊称よりも「キリストの母」とするべきだと唱えます。なぜなら、マリアはキリスト(救世主)であるイエスは生んだけれど、新しく神である性質を生み出したわけではないからです。
 この主張は、当時の教会からは異端であるとみなされます。ネストリオスは、エフェソス公会議で総主教の職を解かれてしまいました。しかし、ネストリオスは不当な断罪を受けたとする東方の聖職者たちにより反主流派集団が形成され、ネストリオス派が生まれます。

ネストリオス派の影響

 カルケドン公会議により、エフェソス公会議で決定されたネストリオス派排斥の決議が再確認されました。これにより、ネストリオス派の人々は、弾圧を逃れて東シリアのエデッサ移ります。しかし、その地で迫害を受けるとペルシアのニシビスに拠点が移されます。
 この後も、ネストリオスはアラビア、インド、東アジアへと勢力を拡大します。彼らの教えが中国に伝わると、景教と呼ばれるようになりました。
 現在のネストリオス派は、「アッシリア教会」や「東シリア教会」として存続しています。

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