アウグスティヌスは、中世時代のキリスト教の教父だった人物です。著書には『神の国』、青春時代の放蕩とキリスト教への回心を綴った『告白』などがあります。
彼は、北アフリカのタガステに生まれ、16歳でカルタゴに遊学するほど優秀でした。思想的遍歴の後、彼は381年にミラノ修辞学教師となり、ミラノの司教アンブロシウスと出会います。33歳のときアンブロシウス洗礼を受け、その後は修道生活に入りました。37歳で司祭となり、その5年後にヒッポの司祭に任ぜられました。
グノーシス派とテルトゥリアヌスの対立の調停
アウグスティヌスは、グノーシス派とテルトゥリアヌスの信仰のあり方に関する対立を調停しました。
信仰に関してグノーシス派は知を重視する姿勢をとっていました。グノーシス派は、神の存在を確かめなければ信仰は不可能であると唱えました。
一方でテルトゥリアヌスは、神は合理的な知を超越しているのだから、意志の力で信じるしかないとしました。これについてテルトゥリアヌスは「非合理だからからこそ私は信じる」と述べました。
こうした思想の対立に関して、アウグスティヌスはプラトン的な知性を重視した考えと、意志を重視した考えを混在・並置させた解釈をつくりあげました。