宗教改革(プロテスタント)

 宗教改革とは、中世末期のキリスト教世界で起きた革新運動をいいます。
 中世末期、教会が持っていた巨大な過ぎる権力は、聖職者の堕落へと繋がりました。これに加えて、十字軍遠征の失敗大シスマにより教会の権威は失墜しました。ちなみに大シスマとは、1378年、フランス王が後ろ盾になっているアヴィニョンの教皇に対抗して、神聖ローマ帝国などがローマに別の教皇を擁立し、教会の権力が分裂した事件をいいます。
 このような要因が重なり、信徒は不満を募らせました。これにより、カトリック教会批判運動が起き、結果としてプロテスタントが生まれました。
 プロテスタントとは、カトリックを批判し、カトリックの流れから分離した教派を意味します。プロテスタント(Protestant)という言葉は、日本語に訳すと「抗議する者」という意味になります。

宗教改革の先駆者

 宗教改革の火種となった要因には、教会の権威の失墜の他にも、東方交易による商業資本の拡大やルネサンスの進行などもあります。
 これらの要因が重なり合ってカトリック教会批判運動が起きます。
 批判運動の初期の代表的な人物には以下のような人物がいます。彼らの運動は、やがて宗教改革の立役者であるルターやカルヴァンに大きな影響を与えました。

ジョン・フィクリフ

 14世紀、イギリスでカトリック教会を批判した人物です。ローマ教皇を反キリストとして、その権威を否定しました。また、彼はラテン語で書かれた聖書であるウルガタを英訳して、聖書を唯一の源泉としました。

ヤン・フス

 ウィクリフの影響を受けて、ボヘミア地方で聖書に基づく教会改革を唱えた人物です。彼は免罪符の販売などのカトリック教会の腐敗を攻撃しました。免罪符とは、購入することで聖人の功徳が得られ罪が許されるという証書です。フスの影響は大きく、教会は信奉者を鎮圧するために対フツ十字軍を組織するほどでした。

ジョルダーノ・サヴォナノーラ

 15世紀、イタリアで、フィレンツェという都市の道徳的腐敗を厳しく非難しました。当時のフィレンツェは、政権を握っていたメディチ家や教皇に支配されていました。サヴォナノーラは、聖書の理想に基づいて神政政治を行いました。神聖政治とは、政治を行うものが、神の代理人として人々を統治することをいいます。

プロテスタントの三大原理

 プロテスタントが掲げる主義は、日本語では福音主義とも呼ばれます。ルターの著作を通じて、以下の3つの原理が確立しました。

進行のみ

 人は信仰のみによって救われるという原理をいいます。これにより、改革派の修道士たちは、修道生活を放棄しました。結婚し、世俗的生活の中で神に仕えるようになっていきます。

聖書のみ

 信仰の基準は聖書だけであるという原理をいいます。
 つまり、聖書には登場しない教皇の権威や煉獄の存在などは否定されます。
 またカトリックでは7つあるサクラメント(目に見えない神による恩恵を目に見える象徴にする儀礼)のうち、聖書的根拠を持つ洗礼と聖餐式だけをサクラメントとして認めます。

万人司祭説

 キリスト教徒はすべて平等であり、聖職者と通常の信徒の間には根本的な区別はないという原理をいいます。したがって、プロテスタントには特別に司祭と呼ばれる地位は存在しないことになります。その代わりに、神学や説教についての専門的な教育と訓練を受けた牧師がいます。牧師は教会の教師にすぎないので、女性でも牧師になれますし、牧師が結婚することもできます。

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