永遠の少年 (puer aeternus)

 永遠の少年は、ユング心理学の個性化過程における幼児元型です。
 永遠の少年は、もともとは死と再生をつかさどる児童神を意味します。瑞々しい身体と穢れのない精神を持っていて、その若々しいエネルギーと形態を永遠に保持している元型となります。
 他のすべての元型と同じように、永遠の少年にも肯定的側面と否定的側面があります。

現代人と永遠の子ども

 永遠の少年という元型をとくに取り上げ、考察を加えたのはM.L.フォン・フランツです。
 彼女の描く永遠の少年とは、どのようなものにも自分を賭けることができない、いつまで立っても大人になれない、ある種の青年たちのことです。
 彼らは、これは本当の自分にあった仕事ではない」と転職を繰り返したり、「いつかふさわしい女性が現れる」と、現実の女性とは本当の意味ではかかわれない、というような生き方をします。そして「いつの日にかきっと自分が現代社会の抱える問題を解決する」あるいは「芸術や哲学などの分野で決定的で重要な仕事をする」という救済者コンプレックスに支配されます。このような考えは、思春期の若者であれば容認されますが、問題はそれ以降に蔓延している場合です。
 当然のことながら、このような人は、社会への適応が困難となります。しかし、それについても「自分は特別な存在なのだから、社会に適応する必要はない」という横柄な態度を示すことが多いです。

永遠の少年の肯定的側面

 上述のように永遠の少年には否定的な側面がありますが、肯定的側面も存在します。ユングの幼児元型の中には、それが十分に認められるし、フォン・フランツもそれを否定するものではありません。
 永遠の少年には、豊かな創造性を示すイメージも存在します。永遠の少年の特徴に類似したものが、往々にして芸術家の中にも認められることがあります。ただし、永遠の少年といわれる人の場合には、その創造的エネルギーを、現実生活の中で建設的に使うことができず、対決を避けて退却してしまう傾向があります。

幼児元型としての永遠の少年

 ユングは永遠の少年は幼児元型であると考えました。その上で、以下のような幼児元型に認められるいくつかの興味深い特徴について触れています。

遺棄・捨て子・危難である

 これらは児童神あるいは幼い英雄の神話にしばしば登場するのが特徴です。そして、遺棄された幼児、自立に向かって成長していきます。

無力にして超越的な存在

 永遠の少年に類される幼児は、ある一面だけみると取るに足りない存在ですが、同時に超越的な力も持っています。幼児は無意識の産物として登場し、一面的な意識では知ることのできないさまざまな道と可能性を体現しています。

両性具有性

 両性具備は人格の統一のシンボルであり、すなわち自己のシンボルであるとされます。

最初にして最終の存在

 幼児は、最初のものであるばかりではなく、新しい子どもへの生まれ変わりという意味から、最終のものでもあるとされます。

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