エレアのゼノン

 エレアのゼノンは古代ギリシャの哲学者で、エレアの出身の人物です。
 彼はパルメニデスの弟子で、師の考え方をパラドクス(逆説)を用いて擁護しました。パラドクスという発想により、感覚はすべて疑わしいものでるという学説を論証するに至りました。パラドクスは、後に微分積分が誕生し、無限級数や極限の概念が生まれるまでは、多くの哲学者にとっての難題となりました。

ゼノンのパラドクス

 ゼノンが唱えたパラドックスは感覚の全て疑わしく、特に運動と変化は不可能であることを主張するためにあります。
 ゼノンのパラドクスは、導き出される結論が非現実的であるにもかかわらず、結論を導く論証過程自体は正しそうにみえます。論証の前提の正しさを受け入れた場合、論証の結論を拒否するためには論証過程のどこに誤りが潜んでいるかを指摘する必要があるが、それは簡単ではありません。その結果として後に多くの人々がゼノンのパラドクスに挑むことになりました。
 今日、ゼノンのパラドックスと呼ばれるものは8つ伝わっていますが、そのうちのいくつかは、本質的に同じ問題を取り扱ったものであるとされます。アリストテレスが著した「自然学」の中では、以下の4つが運動と変化についてのパラドックスとして取り上げられています。

二分法

 ある距離を進むには、まずその半分の距離を通過しなければなりません。その半分の距離まで進むためには、そのまた半分の距離を通過しなければなりません。このように分割を無限に進めていくと、結果として最初から一歩も進めないことになってしまいます。この論理が正しいとするならば、現実はこれにそぐわないことになるとゼノンは言うのです。

アキレスと亀

 足の速いアキレスという人物が、百メートル後からのろまな亀を追いかけたとします。アキレスが亀に追いつくためには、まず亀の最初のスタート地点にたどり着かねばなりません。しかし、そのときには、それにかかった時間の分だけ亀は前進しています。となると、今度はその分だけアキレスは前進する必要があります。けれど、やはりまたその分だけ亀は更に前進しています。この考えでは、永遠にアキレスは亀においつけないことになります。

飛矢不動

 弓から放たれ宙を飛ぶ矢であっても、ある瞬間を切り取ると停止していることになります。流れる時間が瞬間の積み重ねだとするならば、どの瞬間においても停止している矢は決して前に進めないとゼノンは言うのです。

競技場

 例えば、一瞬という最小単位の時間の間に移動できる最小の距離を1単位と呼ぶとします。この条件の下、競技場において2台の馬車が、同じスタート地点からそれぞれ逆方向に進んだとします。この場合、移動開始から一瞬経つと、それぞれ馬車は元の位置から1単位を移動します。このとき、馬車に乗っていない競技場の観客から見ると、2つの馬車の距離は最小単位の2単位分移動しています。となると、これは一瞬という最小単位の時間に動ける、最小の距離ではないから矛盾するとゼノンはいうのです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする